東大の祝辞

数年前の上野千鶴子さんの祝辞は胸に刻みたくなるほど、私には響いた内容でした。
学生という環境がいかに恵まれていたのか、社会人になると骨身に染みて感じていたので、その現実を東京大学の入学式で述べられたというのも感動的でした。

上野千鶴子さんの祝辞
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message31_03.html

河瀨直美さんの祝辞
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message2022_03.html

読んでみました。
うーん…「真理」のくだりから、だんだんよく分からなかったです(笑)
「」で囲われる「真理」ってなんでしょうね。
村上春樹さん(大好き)の小説「1Q84」で、登場人物の一人が「本当のことと言うのはどういうこと」と問うシーンがありました。
主観が入らずに認識できる事実など、ないような気がしますね。
突き詰めてしまえば、数学や物理の人の事情が入り込まない世界にだけ存在する定義のように思います。

少し話が「真理」に逸れましたが、祝辞は全体的にふわっとしていて何が言いたいのか正直つかみ切れませんでした。
ニュースで取り上げられたロシアの箇所について、「言いたいことは分かるけど」と思いました。

でも…

戦争は悪だと平和学習で教え込まれて育ちました。
戦時下を生きてきた祖母から、当時の暮らしや思いを聞いて育ちました。
それらの記憶を持って政治学を学び、戦争をさらに軽蔑しました。
社会人になり、多くの人々が少なからず軍需産業の恩恵を受けていることに気付き、悲しくなりました。
一周回ってやはり戦争という手段は疑いようのない「悪」と思っています。

人には人の、国には国の事情があるのでしょう。
しかし私にとって、絶対に、何があっても、ダメだと言えるものが戦争です。
そこに誰かの事情は挟みません。

そういう考えなので、河瀨さんのおっしゃる例を否定したくなってしまいました。
例に納得できないので、そこから導かれる自制心についての話に説得されなかったです。

「悪」の捉え方も人それぞれなのでしょうか。
言葉って難しいですけどね。

惹かれた言葉の先に

書くってなんなんでしょうね。

人に見てもらうブログという形で、何かを書いてみようと思うのは、なんでなんでしょうか。

元々作文は好きでした。
人に伝えたいことが山ほどあったし、それを上手いこと文章にまとめられた時の達成感。人に褒められる満足感。
でも大人になるとそういう機会ってないですね。
書くのは取引先に送るメールだけです。
自分の気持ち、日々感じた伝えたいことを書いて表現することをしなくなって、なんだか心に澱のようなものが溜まってきたと感じます。
(”澱”=”おり”という言葉は、村上春樹さんの「回転木馬のデッド・ヒート」に使われていたのを問題集で読んで以来、ずっと気になる言葉でした。ついに使ったぞ!)

所詮自己満足なんですが、自分のために気に入る形で、好きなペースで、また文章を書いていきます。

書き残そう、あなたの人生の物語

素敵なフレーズに惹かれ、はてなブログの開設に行きつきました。

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